「奥只見の春─田子倉湖の桜」の続編です。
六十里越は冬季閉鎖中でしたから、田子倉湖の上の無料駐車場に車を停めて散策します。
今はここまでが車で行ける限界です。
ちょうど駐車場脇のレストハウスには、ツバメが飛び回り、新たなる巣を作っていました。
ツバメは春の使者ですから、桜の開花ともに見かけると嬉しいものですね。
六十里越トンネルは閉鎖中で車は通れませんが、歩いてトンネルを渡れます。
釣りをしている人の人気スポットのようで、湖面付近では釣竿が見えたり、時折水上船が走っているのが見えます。
ブナの冬芽です。
昨年に青森への道中、十和田湖でもブナの冬芽を見つけましたが、こちらもツバメ同様に春の息吹を感じ取ることができます。
ちょうど目の前にはやがて神社が現れてきます。
この田子倉湖は、戦後の高度成長期に電力を得るために国策として人造的に造られた「人造湖」です。
私が眺めているこの雄大な湖の下には、旧田子倉村が密かに眠っています。
この石碑「田子倉の碑」を読みます。
総面積16000ヘクタールの広大な土地に50世帯、290人が住んでいたが、昭和34年4月6日田子倉ダムの造成によって、宅地、水田、畑が水没した。
略
第二次世界大戦後、荒廃した日本経済のため只見川水力発電は国策として決定し、田子倉ダムの建設は国会で取り上げられ、私たちはこの要請に関して、全戸移籍のやむなきにいたり、それゆえ他の地に第二の故郷を求めて四散した。
あれから15年、私たちは田子倉の由来と先人の業績が時代とともに流れ去るのを惜しみ、この碑をつくり子孫に伝え、我らの心を結ぶ絆とする。
昭和49年11月3日
田子倉村移転者一同
若宮八幡の桜は、鎮魂の桜です。
かつての豊かな自然と人々の活気あふれる生活が、この田子倉湖の下で眠っています。
私には、この桜が咲いているのが、田子倉村の誇りと美しさを伝えているように思えました。
「土屋薬局 中国漢方通信」でもコラムを作成しています。