昨日にメーリングリストで、著名な李雲祥先生の訃報が届きました。
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李雲祥先生が6月18日にご逝去されました。
詳細にいてはまだ不明ですが(18日朝に倒れられ、午後1時にお亡く なりになったとお聞きしております)、ご葬儀等について連絡致します。
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李先生といえば、「心配ない、心配ない、大丈夫、大丈夫」が口癖の老中医でした。
私が薬科大学を卒業して、その後に東大附属病院で1年間の研修を終えてから、イスクラ高円寺研修塾に在籍していたときにお世話になった先生です。
李先生は当時、イスクラ薬局日本橋店と北京会館薬局の2つのお店に勤務されていました。
思いで深いのは、四谷の北京会館のときです。
午後3時くらいになると、李先生は散歩に行かれるのが日課でした。
研修生であった私も、李先生の後を追うようにして、四谷の街を闊歩したのでした。
北京会館から駅前の大通りを向かっていくと、やがては上智大学のキャンパスがある中央線の線路沿いに出ます。
右手に上智大学のグランドを眺めますと、丸の内線も地上に顔を出します。
「東京ラブストーリー」のオープニングでも、丸の内線が顔を出して走っているところが映っていたシーンを覚えている人も多いはずです。
線路脇の小高い土手は、春には桜の木が満開になります。
桜の木の下を、李先生と私の二人が歩いていきます。
「土屋さんは、傷寒論が好きですか?」
「はい、大好きです」
「私も好きです」
短い会話を今でも覚えているのですが、散歩しているときの李先生は、実に悠々と歩いていました。
もう一つの李先生の思い出は、日本橋店で会話したことです。
「李先生、文化大革命を知っていますか?」
「土屋さん、現在のあなたでは想像もつかないことです」
李先生のときに文化大革命の時代には、中医の代々の教科書を紅衛兵に燃やされないように、土の中に穴を掘って埋めてしまったそうです。
中医学の勉強は、父から口上で聞いて勉強したことなど、中国のエリート層の苦難を間近で知りました。
李先生は、笑顔が素敵で患者さんを暖かく包むオーラを常に出していて、それは間近で見ても実感できることできした。
李先生の家庭で作る水餃子はとてもおいしいのです。
李先生は、中医学で仕事をしているよりも、中華のお店を出したほうが儲かるのではないかとも言われていたくらいです。
昼ご飯のときに、李先生の家庭の水餃子を食べさせて頂きましたが、絶品でした。
今頃、李先生は、やさしい笑顔で「大丈夫、大丈夫、心配要らないです」と天国で呟いているかもしれません。
中国の大陸的風土を感じさせる、傑出した先生で、李先生といえば、四谷の満開の桜を思い出し、一緒に散歩したことが脳裏に浮かんできます。
李先生、安らかにお眠りください。