本日8月5日に土屋薬局 中国漢方通信メールマガジン第94号を刊行しました。
その中の編集後記に写真を載せて紹介させて頂きます。
…
// ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●● 5.編集後記 「知床と日本の川を旅する」
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
7月の三連休に20年ぶりくらいに北海道へ行きました。
昔、学生時代に札幌・手稲のおばさんの家によく遊びに行っていました。
当時はスキーブームでしたから、天狗山や手稲オリンピックスキー場、マウント・レースイ、オーンズスキー場などに足繁く通っていたものでした。
山形出身の私は、「山形といえば、蔵王。蔵王と言えば、海和」と呼ばれたそんな時代です。
さて時は流れ、平成の北京オリンピックを迎えようとしている年に、今度は八戸からフェリーで苫小牧へ上陸との運びになりました。
金曜日は、午後3時に仕事を早退して、一路東北道を「北北東に進路を取れ」で北上です。
八戸は友人たちが沢山いる街で、私の世話を焼いてくれます。
フェリー埠頭で待ち合わせ。
午後10時出港なので、それまでの時間は「ユニバース」に立ち寄って、札幌の友人へのお土産などを購入したりして時を過ごします。
フェリーといえば、鹿児島で桜島に行くときに乗りましたが、うどんを食べている間に到着してしまいましたし(笑)、飛島に酒田港から向かったときにはビールを飲んでいる間に着きましたので、8時間半も本格的に乗船するのは初めての体験でした。
友人含め私たち3人は「八戸組」で明日の朝6時半に苫小牧に着けば、前日から北海道に来ている東京組みと札幌在住のGさんに落ち合えます。
B寝台でゴーっという音を聞きながら眠りに入り、翌朝20年ぶりの北海道上陸となったのでした。
今回のツアーは、知床まで温泉を湯破(とうは)していくという壮大な計画で、
苫小牧→富良野→美瑛→十勝岳→北岳→北見→知床。
最終日は知床から気合を入れて、苫小牧を目指すというロングランのドライブでした。
私たち温泉仲間の行動力、移動距離は半端ではないものを自負しておりますが、私たちのレンタカーは2000キロを越えたらしいです。(笑)
もちろん温泉も素晴らしかったですし、何より車窓の景色が素晴らしかったです。
富良野、美瑛も良かったし(富良野では、「北の国から」で宮沢りえちゃんが入浴していた露天風呂にも入ってきました)、いわゆる「北海道らしい道」を沢山体験してきました。
中標津町あたりの真っ直ぐな道。
本当に一直線だ。
周囲は草原に囲まれ、牛たちが放牧されている。
知床のオホーツク海を眺める道。
鹿が周囲を歩いている。
最後に個人的に強烈だったのは、知床で「酋長の家」という民宿に泊まった時のことです。
サイン色紙が飾ってあって、なんと「日本の川を旅する」と書かれていました。
あのカヌーで有名な、ガクと川を下っていて椎名誠さんとも有名な野田さん─私の青春のヒーロー─の代表作の「日本の川を旅する」を、ここ知床半島で見るとは!
女将さんの話では、最初は知床のホテルに泊まっていたが、つまらないのでこちらの民宿にやって来たこと。
そして、野田さんはカヌーで知床を一周したこと。
「酋長の家」でアルバイトしていた若者たちも、「はい!僕たち、野田さん大好きです!」と答えたら、野田さんが喜んでいたことなどのエピソードも聞きました。
知性と野生を持つ男。
それが野田知佑さんです。
北海道の富田ファームのラベンダーや東川町から眺めた大雪山の風景も忘れがたく、北海道らしい夏の空、夏の雲も印象的でした。
北方領土の国後半島も眺められたので、感動をいろいろ体験した「北海道湯破ツアー」でした。
編集長 土屋幸太郎
<2008年7月19日 八戸からフェリーは一路苫小牧を目指す>
<2008年7月19日 美瑛「赤い屋根のある丘陵」>
<2008年7月20日 知床・酋長の家 「日本の川を旅する」>