こんにちは!薬剤師の土屋です。
今日は11月5日で、発行が少し遅れたものの、
めでたくメールマガジン100号を達成しました!
パチパチパチ(自分への拍手です。笑)
では、記念すべき土屋薬局 中国漢方通信メールマガジン100号から、
編集後記を紹介します。
私にとりましても、土門拳ファンとして記念すべき旅行となりました。
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●● 5.編集後記 「投入堂登山記」
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連休を利用して、鳥取県は三朝(みささ)温泉 桶屋旅館をベースキャンプとして、
長年憧れだった三徳山「投入堂」へ登ってきました。
「投入堂」に行ったという言葉よりも、「登った」という言葉がふさわしい
険しい修験道の山道で大変でした。
往路1時間半で、入念な入山チェックもあり、
とくに11月の三連休は「魔の11月三連休」とも言われ、
事故も多く過去に亡くなられた方もいらっしゃるそうです。
何故、山形に住んでいる私が鳥取県の国宝「投入堂」に興味をもったかと言えば、
郷土の偉大な写真家・土門拳さんの写真や随筆を拝見していて、
投入堂に私も行ってみたいという念が強くなったからです。
(それで「古寺巡礼」でも有名な大和路の室生寺も訪れたことがあり、
その時も大変に感動してきました)
…
かずら坂は実に不愉快だが、白橿の根は愛(う)いやつである。
私の場合、荷物という荷物は、全部、助手や山屋に背負わせて空身だが、
「ハイ、右足はこの枝、ハイ左足はこの根」と、田賀がわたしの足首をつかんでは、
一足ずつ踏みしめる根や岩のくぼみを支持する。
わたしが思わず「うるさい」とどなりたくなるほど「ハイ右、ハイ左」と一足ずつ指示して、
わたしの自由にはさせない。
そしてわたしの腰にしぼったザイルをけんちゃんが上から引張るのである。
なんのことはない、ぶっこわれた操り人形みたいなものだ。
つまり他目には滑稽なほど大仰な人数も、登山用具も、万一足を踏みはずしても、
橿の根がもぎれても、岩角が崩れても、わたしが断崖を転落したり、
大怪我をすることが絶対にないようにと用意されたものなのである。
田賀久治の責任感の深さを知るべきである。
わたしはそのままエベレストへでもマッターホルンへでものぼれそうな重装備で、
ドロミテの登山靴を履いている。
寺男の武部さんは寺が一般入山者に貸している、鎌倉時代の絵巻にもで出てくるような足半(あしなか)という短い藁草履を爪先につっかっけて、重い荷物を背負っているのに、まるで空身みたいに、岩角から岩角へひょいひょいとのぼって行ってしまう。
その点では、さすがのけんちゃんも顔色ない。
どうやら第一の難所かずら坂も無事に超え、馬の背、牛の背の大岩盤も
足をすべらせることなしに超えた。
…「続死ぬことと生きること」 投入堂登攀記より 土門拳著
…
土門さんは、また投入堂登攀記の最後のほうで、こう記しています。
…
投入堂は本当に美しい。
その建築美は日本一だ。
しかしまた撮影の必要が起こればとに角、
三徳山の険阻艱難を思うと、二度と行きたいとは思わない。
…
脳卒中を起こして右半身が不自由になった体で、
よくぞ投入堂まで登ったものです。
無理難題の不可能を可能に代える。
「金と暇に糸目をつけなければ、どこへでも行ける。」
ああ、土門さん、やはりあなたは偉大です。
投入堂を間近に自分の目で見て、その場に身をおいたことで、
投入堂を作った先人たちの日本人の素晴らしさ、
そして土門さんの写真家魂も感じたのでした。
編集長 土屋幸太郎
…
ここからはメールマガジンの文章に写真を添えていきます。
山形県「山寺」のようなものだろうと高をくくっていたら、
三徳山は「山寺」とは違って、石段ならぬ、木の根っこや蔓(つる)、
岩肌を手足でよじ登るアドベンチャー型の「登山」でした。(苦笑)
とくに11月の三連休は「魔の11月三連休」と言われ、
死傷者が毎年出ているそうです。
入山の際には、履いている靴のチェックなども厳密に行われ、
万が一のときに連絡先の電話番号も記入していきます。
私のパートナーは、坂本さんという方で、
鳥取大学の同窓会で三朝に泊まって会費が5万円で高かったとぼやいていました。(笑)
ポスターで三朝に滞在中に「日本一危険な国宝」と書かれていたのを見て、
実際に体験した私には笑うことが出来ませんでした。
この光景も、見た瞬間にウソ!と目を疑いました。
国宝に行くために、よじ登りです。
投入堂では、勇気と慎重さ、そして大胆さと緻密な行動が大切です。
コースどりの頭脳と股関節の柔軟さも含めた基礎体力も必要だと思います。
中間地点。
遠く海が眺められます。
ここまでで、体全身に汗が滲みます。
鐘を突く私。(笑)
ついに来ました!
日本一美しい建築美の投入堂です。
感慨無量でした。
本当に、どうやってあの建物を断崖絶壁に建てたか不思議です。
日本人の偉大さを証明するとしたら、エジプト人がピラミッドを造ったとすれば、
「投入堂を建てたのが日本人である」と誇りをもって言えると思います。
世界遺産にふさわしいです。
ここからの帰りの道も登り以上に怖かったことを告白しておきます。(苦笑)
往路1時間半の記録でした。
土門さんたちは、3時間かけて登ったらしいですから、
物凄い気合をかけたのだなあと自分の体験に照らし合わせて実感しました。