おはようございます。
薬剤師、不妊カウンセラーの土屋幸太郎です。
風が強く雨が降っていた山形です。
今はやっと陽射しがでてきました。
近所では山茱萸の花や梅の花など綺麗に咲いている季節となりました。
我が家のフキノトウもすっかり大きくなってきました。
さて、天童市を本拠地とするサンデータイムスさんに取材して頂きまして、2013年(平成25年)4月14日号 通算456号に掲載させて頂きました。
<2013年4月8日 サンデータイムス>
天童市 モンテ本拠地存続を求め県に要望書 市民による署名活動の動きも
こちらです。
「中医学の普及で中国大使館より表彰 土屋薬局・土屋幸太郎さんに聞く 『中医学は文化であり 人をみること』」
お店の壁の一角に、多くの赤ちゃんの写真と手紙が貼られている。
不妊で悩んでいたお客さんからのお礼状と写真だ。
お礼状には心からの感謝の言葉が並ぶ。
送られた相手は土屋幸太郎さん(44)。
東根市神町にある老舗「土屋薬局」の専務であり、不妊カウンセラーの資格を持つ薬剤師だ。
土屋薬局は昭和14年、祖父の土屋幸次郎さんが創業。
現在父親の信一さんが社長を務める。
言わば、幸太郎さんは三代目にあたる。
その土屋薬局が、3月3日、日中平和友好条約35周年に合わせ中国大使館経済商務処から、「中医学」と「中成薬」の普及に尽力したとして『普及功労賞』を授与された。
「中医学」とは、中国の伝統医学を体系化した医学で、「中成薬」は中医学に基づいて中国で製造された薬だ。
中成薬を扱うお店は全国に930軒ほどあるが、このたび表彰を受けたのは全国で10軒のみ。
東北では唯一土屋薬局だけだ。
実は、普及功労賞を授与されたのは今回が初めてではない。
平成8年と平成14年に続き3度目の表彰となる。
これは他に類を見ない。
中成薬の販売実績もさることながら、それは確かな「中医学」の知識と技術がなければ達成できない。
土屋薬局の中医学が高い評価を受けているのは、幸太郎さんの存在が大きい。
幸太郎さんが中医学に出会ったのは、偶然だったという。
薬局に生まれた幸太郎さんは、当然家を継ぐものと星薬科大学に入学。
卒業後、東京大学附属病院で薬剤師として研修を行っていた。
そろそろ実家に戻ろうかという頃、まだ東京に未練があった幸太郎さんは、何とか帰郷を伸ばそうと、東京高円寺にある東京イスラク中医学研修塾に入塾、一年間中医学を学ぶことになる。
それが、幸太郎さんが中医学に目覚めるきっかけとなった。
幸太郎さんはその後、中医学を極めるために恩師や仲間のつてを頼りに、単身北京や南京へ行き研修を重ねた。
その回数は10回を超える。
知識や技術の習得を目的にしていた幸太郎さんは、現地の体験を通し、医療の本質に触れることになる。
それが、後の幸太郎さんの薬剤師としての心構えに大きな影響を与えることになる。
北京の春は風が強く、大陸の冬は激寒。
広大な土地ゆえに自然環境も様々。
当然土地によって〝食〟も〝文化〟も変わる。
そこで感じたことは、中国の医療はその土地の環境、生活とは切り離せないこと。
その土地に根付いた医療の総体系が「中医学」であり『文化』なのだということ。
まさに『医食同源』を肌で感じることが出来たのだ。
中国では、経験豊かで腕の立つベテランの中医師を「老中医」と呼ぶという。
その一人が、皮膚病の世界的権威・張志礼先生だ。
研修先で出会った幸太郎さんは、「会った瞬間、病気が治ると確信出来るような人を包み込むオーラを感じた。いつも笑顔で患者さんに接しリラックスさせる。その優しい人柄に感銘を受けた」と、張先生に出会った印象を語る。
老中医は、同じ処方箋を、コンピューターを使って処方しても、老中医の方が効くと言われる。
それは医師への信頼が患者の治癒力を高めるのであろう。
「病を治すには、その人の背景をみなければならない。『人に寄り添い、人をみること』を忘れてはいけない」と言う張先生の言葉が、今の幸太郎さんの座右の銘となっていると言う。
その中国での研修のおかげで、幸太郎さんは、平成13年12月に全国でも数十人しかいない「国際中医専門員A級」の資格を取得した。
実家の土屋薬局に帰り、ふと幸太郎さんは気づいたという。
中成薬といえば高齢者が多いとばかり思っていたが、お客さんは意外にも若い女性が多いのだ。
その多くが不妊で悩んでいるのだ。
幸太郎さんは、再び中国を訪ね、不妊症専門講座を受ける。
そこで出会ったのが、不妊治療の権威である南京中医薬大学の夏桂成先生だった。
夏先生が、機械を使わず丁寧に脈をとる「脈診」という方法で妊娠を判断する姿に驚き、中医学の深さを知ったという。
これもまた、人へのいたわりや気遣いなど、夏先生の人柄の成せる技だと、改めて中医学への思いを熱くしたという。
不妊治療を極めるため、薬剤師としては珍しく西洋医学の勉強も併せて行い、不妊カウンセラーの資格も取得した。
「自分が分かったふりをするのは好きではない。自分が納得しなければ治療は出来ない。その為には日々の勉強は欠かせない」と幸太郎さんは話す。
その背景には、こうした中国での経験や老中医との出会いがあった。
こうした努力が中国大使館に認められ、今回3度目の表彰に繋がっている。
現在日中関係はうまくいっているとは言えない。
そんな中、日中平和友好条約35周年という特別な年の表彰にあたり、幸太郎さんは「国は国、個人は個人で人間関係は変わらない。中国政府が日本政府ではなく、一個人として認めてくれたことは
素直に喜ばしいこと」と受賞の感想を語る。
授賞式では、10年振りに呂克倹公使と再会し、前回大使館職員の奥さん達が作ってくれた水餃子の話で盛り上がったという。
「田舎の薬剤師が、こうして公使とたわいもない話で交流できるということは、少しは日中友好に役立っているのだろう。そうであれば、長年コツコツとやってきた甲斐があります」とも語った。
「普及功労賞」の賞状の文中に『引き続き中日友好と日本国民の健康のために一層貢献されますように』の一文がある。
「日本国民のために」という中国の気遣いに感銘し、それが幸太郎さんのこれからの励みであり目的になったという。
地域の薬局が、地域に愛されるには地域の人によりそうしかない。
まさに「地域と人をみる」ことなのだろう。
趣味は旅行、好きなものは奥さんの手料理。
「見聞と食」もまた、幸太郎さんの日々の仕事を支えている。
この日々の実践が、3度の表彰につながっている。
余談ですが、妻がこの記事を大変に喜んでいました。
「好きなものは妻の手料理」を記事にして頂いたサンデータイムスさん、どうもありがとうございました。
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You tubeに動画コーナーができました。音がでますのでクリックのときには気をつけてください。11/05/16
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