こんにちは。
薬剤師、不妊カウンセラーの土屋幸太郎です。
3月11日の今日を迎えました。
震災からまる2年が経過しようとしています。
震災の時の大きな揺れ、その後数日間の停電による寒さ、食料品などの物資の欠乏、ガソリンが無かったことなどいろいろと思い出します。
金曜日の停電から土屋薬局はずっとお店を土日も開けていて、ラジオをつけながらの営業でヤマトさんの宅急便も止まったし非常に心細いなかでの営業だったこと。
山形市の妻の実家に帰るときに自家用車が使えなかったので、神町から山形市の山交ビルで乗り継いで向かったこと。
東根体育館にスタッフや妻が震災から避難してきた人たちへの処方薬を配達に行ったこと。
また震災後、4月に京都に漢方の講演に呼ばれていて、伊丹空港から京都へ向かう街のネオンの明るさ、人々も震災とはまったく無縁そうで明るくて余震のない毎日など思い出します。
京都にいるときにテレビで続いている余震のことなどニュースでみましたが、いざ西日本にくれば別の違う世界があるのだなあと実感しました。
山形県人としては山形も震災の影響をかなり受けたのですが、被災地として認定されなかったこと、つまり東北地方では太平洋沿岸部とまた私たち山形、秋田のかたでも違う印象が確実にあるはずです。
お客様におかれましては、宮城県のお客様の中には実家が流れてしまった方や親せきが亡くなれた方などもいらっしゃいました。
「震災後やっと半年経過して落ち着いてきて自分のことも考えられるようになりましたので不妊治療を再開しました」という声も何人かのお客様でお聞きしました。
震災の爪痕は深いと思います。
またいまなお沿岸部の復興や福島原発の放射能による二次被害など終わっていませんので、私も一東北人として復興を心から祈念しております。
頑張ろう!東北
<2011年3月11日> 我が家の庭の灯篭は震災で倒れてしまいました。
信号は止まってしまいました。
信号がないと非常に運転が疲れます。
ガソリンスタンドに殺到する車。
この後、しばらくはガソリンが手に入らなくなり長蛇の列となりました。
そのような中でも月山はいつもどおりに美しかったのが印象的です。