土屋薬局ブログ|子宝漢方と痛み、しびれ、耳鳴り

こんにちは!薬剤師、不妊カウンセラーの土屋幸太郎です。私自身、42歳で結婚して52歳で我が子をこの手で抱けて感動しました。妻が妊娠中も毎日、夢みたいと思っていましたが、我が子をこの手で抱けてとても幸せを感じています。大切に大事に育てます。私たちには中医学(中国漢方)での体質改善や食養生がよく効きましたので、子宝の漢方薬にとても感謝しています。不妊、不育でお悩みのかた、またそれ以外の漢方相談(痛み、しびれ、耳鳴など)も承ります。ぜひ土屋薬局までご相談お寄せ下さい。

土屋薬局の歴史紹介です。エトワール海渡の思い出など

おはようございます。お盆休み明け、月曜日、火曜日と過ぎて、だいぶ夏の疲れやメンタルの疲れなど抱えているかたが増えてきているようです。

メンタルは気持の浮き沈みなどあるようです。

東京在住で土屋薬局とはもう10年以上のお付き合いがあるお客様は、今年の3月からずっと在宅勤務をされていらっしゃいます。

在宅勤務も長くなってくると、仕事と夏休み、土日、などのオンオフのメリハリがだんだんとなくなってきて、要は「常に仕事を在宅でしてしまう」環境になるそうです。

職場の同僚との雑談なども大切ですから、なんとかこの国難を乗り越えていきたいものですね。

 

いまは日経新聞などは在宅、在宅、オンライン、オンラインといっていますが、日経が社説などでやりたがっていることの反対側に幸せがあると思っていますので、これからはある意味「密」な世界も脚光を浴びるかもしれませんね。

 

さて本日、月に1回の土屋薬局の新聞折込チラシをいれました。

ツイッターで朝に紹介しましたらコメント欄で反響があってとても嬉しい思いをしました。こういうフォロワーさんとのやり取りはSNSならではですね。

その意味でツイッターとLineは今後とも可能性があると思います。

ちょうど今月は8月で終戦記念日など日本の平和を考える月間ですので、土屋薬局の歴史をメインにして地域の方々へ、あらためてお知らせする形式にしました。

 

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2020年8月19日 月間の土屋薬局のチラシです!

左側の土屋薬局の歴史がアピールポイント、ここの文面に目を通していただけただけで今回のチラシは大成功です。

実は、ホームページの土屋薬局の紹介からの引用です。

 

ではせっかくですから、引用しますね。

 

土屋薬局は、昭和14年に初代社長土屋幸次郎が山形県東根市神町(ひがしねしじんまち)に開設いたしました。

 

初代社長 幸次郎は、太平洋戦争では 陸軍に召集され静岡の部隊に所属していました。

 

戦争中は、畑の中で グラマンの機銃掃射をうけ、30cm横を 弾丸が通り過ぎていったそうです。

 

やがて 8月15日の終戦を迎え、静岡から汽車で山形まで 夏の暑い日に あせもだらけになりましたが、無事に生還することができました。

 

そして、再び 幸次郎は この地 「神町」で 戦後の荒野から一から 商売を始めることとなったのです。

 

神町(じんまち)は、現在は 山形空港があることで有名ですが、太平洋戦争末期には 海軍が飛行場を建設したために、終戦後は 米軍キャンプが設置されることとなりました。

 

その当時、アメリカの駐留軍が 土屋薬局に来店した際には、初めて見る外人たちに 幸次郎は驚き「お金は要らないから、商品を持っていけ!」と言ったそうです。

 

また、家に 米軍のアメリカ人たちがやってきた時には、彼らは 日本の風習を知らないので、靴を履いたまま土足で茶の間に上がってしまいました。

 

そのような中、幸次郎は 夜行で東京馬喰横山のエトワール海渡に洋品やスーツケースなどを 仕入れに行ったり、ガラスの職人をしたり、カメラの現像(DPE)など 商魂を発揮し、現在の 土屋薬局の基礎を築き上げ、隆盛の土台を作り上げたのです。

 

スーツケースなどは、米軍相手に飛ぶように売れたり、東京仕入れの翌日は シャッターを開ける前からお客様が 行列をつくって待っていました。

 

また、当時は アメリカから手紙を送るにも「JAPAN JINNMACHI」と住所を書くだけで届いたと生前、初代社長 幸次郎は 昔を懐かしみながら語っていました。

 

現在は、米軍キャンプの跡地は、陸上自衛隊第六師団となり、東北地方の司令部となっております。平和とは有り難いものです。


この文章を作成している 土屋幸太郎は三代目にあたりますが、平成11年に亡くなった初代 幸次郎の苦労と心意気を忘れずに、また 祖父 幸次郎の遺言である 土屋薬局の創業100周年に向けて、これからも お客様の立場にたって努力することを宣言いたします。

 

 

 先日、寒河江の親戚のおばあちゃんが90代で亡くなったときに参列しましたが、息子さんが偶然にもエトワール海渡で長年勤務されて定年退職されて、いまは別な仕事をされているそうです。

そのSさんがエトワール海渡にいたときには、わたしも時々は馬喰横山にいって玄関で挨拶していたりしたものでした。

エトワール海渡と聞くと亡くなった親父とも仕入れにいっていたりしたものですから、特別な感情をもってしまいます。

社内食堂も美味しかったなあ。

 

星薬科大学時代に、洋服が欲しくなると、エトワール海渡に行って土屋薬局の帳面で買い物していたのは内緒の話です。

結婚指輪も実はジュエリー館で妻とわたしのものを購入しました。

いまでも毎日指輪しています。

 

ということで、薬剤師として調剤や漢方相談をしていますが、わたしにも「戦後の商人魂」があることを宣言いたします。

今後とも土屋薬局をどうぞよろしくお願い致します。